かわちくさか村昔のくらし
解題
私たち日下古文書研究会では最初の翻刻集として平成十七年に『日下村森家庄屋日記享保十三年度』を刊行いたしました。「日下村森家庄屋日記」は享保時代の日下村の庄屋であった森長衛門が18年間にわたって記録したものです。享保のころの河内の暮らしが詳しく描かれています。
その後「くさか村昔のくらし」を刊行することになり、「日下村森家庄屋日記」から享保のころの村の暮らしを「二八〇年前の村の暮らし」と題して項目別にまとめました。次に「村定めと人々の暮らし」と題して、江戸時代の支配者と百姓のあり方を、「村定め」という法令を取り上げて考えてみました。さらに「享保時代の出来事」と題して「将軍吉宗の日光社参」「勝二郎の疱瘡」「日下村離婚事情」「西称揚寺看坊の自害」を取り上げてわかりやすく解説しました。江戸時代のこの地の暮らしの一端をわかっていただけるのではないかと思います。
それ以後については、とりわけ昭和四〇年代の高度経済成長期までの暮らしを六十代から九十代の地元の方々に取材してまとめました。それらは例えば、「もみじ」「かたまわり」「てんま」という田畑の字名(あざめい)や、モッコで一二〇㌔もの米を運んだ下作年貢納め、フンドシ一丁で池の中に入って樋を抜き、夏の暑い盛りに村中を駆け回って田畑に水を引いた水番、剱先船での大阪までの四時間もの船運、肥こえタンゴでの田畑への施肥など、機械化されてしまった現代からは想像もつかない暮らしでした。それはそのまま江戸時代の暮らしに繋がるものなのです。
『日下村森家庄屋日記』の翻刻をはじめた平成14年からお話を聞かせていただいた方々は男女30名以上にのぼります。日記の中の農業に関する記載が地元の方々の経験と合致し、理解不可能なことが解明されていったのです。それは私たちにはどんなにか有難く、宝物のような貴重なものとなりました。
私たちには驚くような貴重な体験であっても、その方にとっては何気なく暮らしてきた日々の一こまなのです。その記憶の片隅から引き出す作業は楽しいものでした。「そういえばこんなことがあったなあー」と懐かしげに話されることが、私たちには「へえー!」と感嘆するような出来事であったりするのです。「こんなことを面白がってくれたんはあんただけやなあー」と言いながら話してくださいました。それはまたその方の人生と、人間そのものに真向かうことにもなったのです。
戦地から帰還し、先祖の田畑と山を守って土とともに生きた人、農業の傍ら様々な商売をして大家族を養ってきた人、十二・三才から家計を支えるために生駒山から石を切り出して彫り続けた人、バリキと呼ばれる牛が引く荷車で大阪の町まで出かけて人糞を集めた人、剱先船で恩智川や寝屋川を行き来して水車産業の原料となる貝殻や鉄線を運んだ船頭さん、朝五時起きで男性と同じように農作業をこなし、毎日四升の米を炊き、戦時中空襲警報が鳴るたびに身重の体で何度も防空壕に逃げ込み、難産に耐えて出産した女性、赤銅色のお顔とごつい手のシワの一つ一つにその方が越えてこられた辛苦が刻まれ、精一杯生きてきた誇りが輝いています。
九十才の男性が「昔はデコボコの地道やったから、バリキ(牛に曳かせる荷車)に積んで運んできた満タンの肥タンゴ(人糞の入った桶)を
高野道(”こうやみち”バス通り・旧170号線)まで帰ってきたとこで全部道にぶちまけてしもうてな。臭いわー、近所の人から怒られるわー、ほんまにどないしょうかと思うてなー、こんな困ったことは一生のうちになかったわ。」と笑いながら話されたのですが、私には笑うことなどできませんでした。
この方も、命からがら戦地から復員してきて、大切な弟を戦死させ、年老いた両親と幼い兄弟たちを養うために、農業だけでは食べていけなくて、出来る仕事なら何でもしたのです。この方の苦難はまさに戦後の生きるために必死だった時代を象徴しているように思えたのです。この先輩たちが永々と築いてこられた暮らしの上に今の私たちの暮らしがあるのだという実感がありました。お一人お一人に頭の下がる思いでお話をうかがったのです。
きれいな池で泳いだとか、家の前の小川でザリガニやエビを取ったり、野菜や茶碗を洗ったというお話を聞くと、その池や川を探して歩きました。でもそのほとんどが暗渠となり、埋め立てられています。日下から西の布市の恩智川まで田畑ばかりで何もなかったというお話をうかがって西の方を見渡しても、今は建物しか見えません。かつての暮らしの中に当たり前のようにあった美しい村の風景はもうどこにもないのです。改めて私たちが失ったものの大きさを思わずにいられません。
これからもう五〇年もたってしまうと、かつての自然に溢れたふるさとにあった暮らしはもう誰も知らないものになるでしょう。地元の戦前の暮らしには、江戸時代の日下村の暮らしが痕跡を留めているはずです。それを今伝えないと永久に埋もれてしまうのです。
とりわけ戦争に関しては、戦地に赴かれて無事生還なさった方のお話とともに、日下村の旧家に残されていた軍人必携書や戦地からのはがきや手紙など、貴重な史料をご提供いただきました。それらの一つ一つが厳しい時代に翻弄された人々の運命を物語ります。戦地に赴かれた方の記憶はあまりに生々しく、けれどそれはまぎれもなくあった事実なのです。
辛い時代を掘り起こすことは心重い作業とはいえ、今これを記録し、次代を担う子どもたちにこそ、この時代の真の姿を正しく伝えていかなければなりません。
それが間違ったものであっても、それはその時代の人々が信じて疑わなかった時代の精神というものです。私たちはその誤りに気づいて、新しい時代の精神を築いていかなければなりません。新たな未来をどう形成していくべきかを考えるためにこそ、歴史は学ぶ価値があるのです。
江戸時代から昭和四十年代までの暮らしは現代の子どもには知る機会があまりないものです。この地にあった暮らしを知ることは自分たちのふるさとへの思いを深めることにもなるでしょう。この本を、「おじいさんやおばあさんが小さかった頃にはどんな暮らしがあったの?」という、素朴な疑問にお答えするための一冊としていただければこんなうれしいことはありません。
日下古文書研究会 浜田昭子
『くさか村昔のくらし』
目次
刊行のことば
目次
一 江戸時代の日下村―『日下村森家庄屋日記』
二 二八〇年前の村の暮らし
三 村定めと人々の暮らし
四 享保時代の出来事―『日下村森家庄屋日記』から
1 八代将軍吉宗の日光社参
2 勝二郎の疱瘡
3 日下村離婚事情
4 西称揚寺看坊の自害
五 聞き取り
昔のくらしー戦前から昭和四〇年代までー
六 戦争の時代
七 木積宮(石切神社)のこと
八 日下村の年中行事
謝辞
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