2011年3月3日木曜日

二 善根寺檜皮大工の棟札

1 新たな棟札の発見

善根寺檜皮大工の名のある棟札は、東大阪市の調査によって市内の諏訪神社のものは知られていましたが、新聞文化資料館で和歌山の広八幡神社の棟札に出会い、他にも棟札が残されているはずだと考えました。

ちょうどその時期に、国立歴史民俗博物館から『社寺の国宝重文建造物等棟札銘文集成』が刊行されていたのは幸運でした。だが、あると確信していたわけではなく、可能性を信じての調査でした。ページを繰るうちに、「河内善根寺」の文字が目に飛び込んできた時、やはりあったのだと、歴史の闇に埋もれていた彼等の活動を探り当てた喜びで一杯でした。

『棟札銘文集成』近畿編の中に京都府と奈良県の神社から四枚の棟札を発見することができたのです。これで善根寺檜皮大工の名のある棟札は合計六枚となりました。その明細を以下に上げておきました。
 
善根寺檜皮大工の棟札
棟札 所在神社 年代 記載された檜皮大工名
1広八幡神社
本殿棟札
和歌山県有田郡
広川町
永禄一二年
(1569)
檜皮大工南都住人藤原朝臣家次
宿所河内善根寺頭三郎
2高山八幡宮
本殿棟札
奈良県生駒市
高山町
万治二年

(1659)
河州善根寺棟梁 河州善根寺同仕手
寺座宮脇宗兵衛 惣右衛門
長左衛門 五兵衛
彦左衛門 八兵衛 忠次郎
3水度神社
本殿棟札
京都府城陽市
寺田水度坂
寛文九年

(1669)
檜皮大工 河州善口寺村
田中八兵衛 藤原朝臣家次
4高山八幡
宮本殿棟札
奈良県生駒市
高山町
元禄三年

(1690)
河州善根寺棟梁 善根寺彦左衛門
寺座 八右衛門
藤兵衛 五兵衛
5諏訪神社
本殿棟札
東大阪市
中新開
元禄七年

(1694)
河州河内郡善根寺村藤原朝臣家次
檜皮屋惣兵衛 大工八兵衛
6高山八幡
宮本殿棟札
奈良県生駒市
高山町
享保一一年

(1726)
檜皮大工棟梁 河州河内郡善根寺村
宮脇五兵衛政重


(1) 広八幡神社
新聞文化資料館に残されていた写真は、昭和五九年の大阪市立博物館特別展「紀州の文化財」に出展された棟札の写真でした。広八幡神社は和歌山市から南へ約四〇㌔、有田川の南岸に開けた湯浅港に近い広川町にあります。

創建は嘉禎二年(一二三六)以前と伝え、中世は湯河氏、近世には紀州徳川家の保護を受けただけに、広大な境内に美しい檜皮葺の三間社流造(さんげんしゃながれづく)りの丹塗りの壮麗な本殿が両側に摂社(せっしゃ)を配し、拝(はい)殿(でん)・舞(ぶ)殿(でん)と楼(ろう)門(もん)を持つ豪壮なものです。棟札の発生は平安時代以降とされますが、善根寺檜皮大工のはじまりは、この棟札によって永禄年間以前に遡ることは確かです。

                         広八幡神社本殿

                         広八幡神社楼門


(2) 高山八幡宮
『棟札銘文集成』近畿編Ⅱの中に奈良県生駒市の茶筅の里として知られる高山町の高山八幡宮の棟札三枚に、善根寺檜皮大工の名がありました。万治二年(一六五九)、元禄三年(一六九〇)、享保一一年(一七二六)の三枚です。三枚の棟札の年月はほぼ三〇年周期であり、檜皮葺の寿命が三〇年から四〇年ということから、葺き替えのたびごとに善根寺檜皮大工が出仕していたようです。富雄川添いに鎮座する高山八幡宮の本殿は今も三間社流造りの檜皮葺です。



 
高山八幡宮 拝殿・舞殿

 
高山八幡宮


(3) 水度(みと)神社
『棟札銘文集成』近畿編Ⅰの中に、京都府城陽市寺田水度坂の水度神社の本殿棟札に「寛文九歳(一六六九)檜皮大工河州善□寺村田中八兵衛藤原朝臣家次(たなかはちべえふじわらあそんいえつぐ)」の記載を発見しました。水度神社は城陽市の東のなだらかな丘陵地に位置し、こんもりした森の木々に包まれた参道を抜けると、本殿、拝殿、舞殿があり、いずれも今もみごとな檜皮葺です。

                            水度神社




(4) 諏訪神社
善根寺から三㌔西の東大阪市中新開に諏訪(すわ)神社があります。東大阪市の保存修理により、屋根に載せられた箱棟裏に墨書が見つかりました。そこには元禄七年(一六九四)の年号と「河州河内郡善根寺村、藤原朝臣家次、檜皮屋惣兵衛(ふじわらあそんいえつぐ ひわだやそうべえ)・大工八兵衛」の記載がありました。諏訪神社は室町時代天文元年(一五三二)在銘の古文書「氏神(うじがみ)三社(さんしゃ)興(こう)立記(りゅうき)」によると、戦国時代、信濃の諏訪連(すわのむらじ)の子孫がこの地にいたり、土地を開墾し諏訪明神を勧請(かんじょう)したということです。社殿は室町末期に建立され、市内最古の神社建築です。

以上で合計六枚の棟札が確認されました。善根寺檜皮大工が河内ばかりでなく、和歌山、奈良、京都と畿内に広く活動していた軌跡が明らかになったのです。この他にも棟札が発見される可能性は大きいのです。『棟札銘文集成』は国宝、重要文化財に限られており、そういう指定を受けない小さな神社にも善根寺檜皮大工が出かけていることは大いに考えられるので、これからの発見に期待されます。

諏訪神社

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