2012年6月12日火曜日

江戸時代のお花見


❀ 江戸時代のお花見 ❀ 

                 



日本人にとって春の一番の楽しみは花見である。石切駅の下にある日下新池は桜の名所である。堤の桜が満開になると、背後の山の緑とともに水面に映えて絵のように美しい。享保時代の春の一日、日下村の庄屋であった森長右衛門さんは、訪れた客と日下新池の畔で、弁当と酒を持参して花見を楽しんでいる。

江戸時代は、石切駅のガードを越えて生駒山へ続く辻子谷道も花の名所であった。急峻な谷筋を登っていくと、鷲尾山興法寺があるので「鷲尾山(わしおやま)」と呼ばれた今は桜はないが、『河内名所図会』の巻五に

鷲尾山(わしのおやま) 神並村の上方也。山脈伊駒山に続て、山峰悄絶にして、桜樹多し

とあるので、江戸時代には山ザクラが多く自生していたのであろう。

二八四年前にここ鷲尾山で行われた花見を紹介しよう。享保十三年(1728)の春三月八日のことである。日下村領主である譜代大名本多氏の蔵屋敷役人田村清蔵が日下村の庄屋長右衛門を訪れ、大坂の両替商鴻池善兵衛を鷲尾山の花見に招待したいとのことで協力を求めてきた。

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ではなぜ大名である本多氏の役人が大坂町人を接待する必要があったのか。そこには大名貸というシステムがあった。近世も早い時期から諸大名は財政窮乏に陥り、大坂町人からの借金がなければやっていけなかった。蔵屋敷の役人たちは大坂の両替商に頭を下げ、金を引き出すのに必死であった。毎年扶持米を給与し、節季の祝儀、盆暮の付け届けなど、種々の贈答を欠かさなかった。特に新しい借金を申し込む時には大坂町人を招いてお茶屋で接待をし、酒肴や芸者をはべらせて振舞までする。

武士として高い身分を誇り、町人や百姓からあがめられてはいても、金がなくては暮らせないのが現実。大坂では町人が金の力で武士の上に立っていた。それゆえにこそ天下の大坂と呼ばれた。又そこに、建前よりも本音・実質を重んじる「大坂人かたぎ」が生まれてきたのだ。

鴻池善兵衛は大坂にその人ありとうたわれた鴻池善右衛門の兄の筋で、かなりの金を本多氏に融通していた。本多氏役人はさらなる借金の申し込みのためにこの町人に振舞をしなければならなかったのである。

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今回はその接待を鷲尾山での花見と決め、長右衛門の屋敷で軽く夕飯を振舞うようにとの申し出である。しかもそれは翌日なのである。さあそれから長右衛門家は大騒ぎ。

「こらえらいこっちゃ!」とばかり、人足を集めて座敷や庭園を掃除させ、下男を大坂へ買物にやる。大坂の料亭の板前を呼寄せ、四重の大きな重箱に豪華な料理を詰めさせる。

翌日朝、村の船着場にお出迎えすると、主客の鴻池善兵衛が蔵屋敷役人や取り巻きの大坂町人を引き連れて九人で到着。早速一行は鷲尾山へ花見物に登る。茶、弁当、豪華な肴を詰めた提重と、よもぎもち・豆粉もち・下々へはにきりめし・にしめなどを下男に持たせる。

花見を終えて午後三時ごろから長右衛門家で宴席。麦飯と一汁六菜という豪華さ。鯛やウナギの焼き物に、塩貝・くらげの酢の物、よめな・干大根のしたし物、奈良漬やたくあんの香の物まで二〇種類にのぼる山海の珍味。長右衛門も粗相があってはたいへんと、下女下男を指揮し、

「はよ! お膳とお酒運んでんか!」と料理の手配に右往左往。

ようやく宴もはね、日暮れには船で帰られる。大坂へ四時間はかかるので、帰りの船にも、どじょう・白魚・サザエのつぼ焼き・たまごという高級な料理を持たせ、燭台や傘も積み込まれる。

まさに至れり尽くせりの接待である。「麦飯と醤油汁のかるいもので。」といわれて、これだけの饗応をしなければならないのが、村の庄屋の勤めであった。 

この接待にかかった費用は、銀一三〇匁、今の金にして二〇数万円。これを本多氏支配の村々二〇ヶ村で負担させられたのだ。その数日後に蔵屋敷へ出た長右衛門は、花見に来られたことのお礼を申し上げている。

長右衛門は、夕方来た役人に有無を言わさず急に明日の接待だといわれて、てんてこ舞いに振り回され、豪華なご馳走を供し、大金を費やし、それが終われば蔵屋敷にお礼言上に上がるのだ。百姓には武士への絶対服従しか選択肢はなかった。それに逆らうことなど夢にも考えなかっただろう。

とはいえ支配階級の武士が金に困り、最下級に位置づけられている町人が裕福というこの現実こそが、江戸時代を覆う巨大な矛盾であった。日下村のお花見一件が、如何ともしがたい、この時代の社会の現実を、鮮やかに切り取って私たちに見せてくれている。

現在の辻子谷道には、山道の両側に西国八十八ヶ所の本尊と弘法大師像が仲良く並ぶ石仏が興法寺まで続いている。

  

辻子谷道

日下新池の桜


参考文献『日下村森家庄屋日記』森義雄氏所蔵




      



日下新池の桜


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