2016年5月12日木曜日


信楽御役所見学

好天に恵まれた426日、日下古文書研究会では、河内の村方文書にもよく登場する「信楽御役所」の陣屋跡の見学に行きました。

 信楽御役所は多羅尾家居館であり、代官所として機能しました。現在は滋賀県甲賀市信楽町多羅尾の田畑と小川に囲まれた小高い丘にありました。今は建物はすべてなくなっており、石垣と蔵が遺されているだけです。 

敷地は南北にのび、陣屋建物や庭園のあった上段曲輪と蔵屋敷の下段曲輪に分かれており、その中ほどに東から入る正面入り口が設けられています。古い写真によって茅葺の主屋に格式の高い瓦葺の玄関を備えた建物であったことが分かります。

 代々代官として近江・畿内の天領代官を勤めた多羅尾氏は、13世紀から近衛家の信楽荘の荘官として活躍し、在地領主として力を蓄え、戦国期には甲賀武士の中でも有力な国人としての地位を築きました。

天正10年の「本能寺の変」に際し、当時の当主多羅尾光俊が手勢を率いて、堺から三河へ脱出する徳川家康の「神君伊賀超え」を助け、道中警護に尽力します。その功により旗本に取り立てられ、信楽代官に任じられます。以後、明治まで多羅尾家は世襲代官として多羅尾に陣屋を置き、近江・河内・伊勢・大和の天領を治めたのです。
明治頃の写真
入口

屋敷跡
御役所からの風景